グランマの信州日記

〜ここ信州で生きて行く〜

あの時ああしてやった。この時こうしてやった

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早いもので8月ももう後半に入りました。

 

モスバーガーとオニポテ、贅沢できる時代になりました。)

 

 

 

この時期は終戦記念日をはさんで、TVでも戦時中の話題が多くなります。

 

(一転にわかにかき曇り・・・)

 

 

私の亡き祖母も、戦中戦後を生き抜いた一人でした。

 

祖母は戦時中は女で一つで仲居をしながら、自分の娘(私の母)に加えて、

結核で命を落とした妹の幼い子供4人の面倒をみたとのことです。

 

その当時のことを叔父(妹の子供4人のうちの一人)は、、、

「あの時、おばさん(祖母)がいなければ俺たちはどうなっていたか?

分からない、、、多分飢えで死んでたかもなぁ」と思い出しては話していました。

 

ところが晩年になって祖母は口を開くたび叔父たちに、、、

「あの時はああしてやった、、、この時はこうしてやった」と恩着せがましく

話すのです。

特に何かの見返りを求めるのではなく、ただただ恩にきせるのです。

 

だからわかっていても、、、

「おばさんには感謝しても感謝しきれないんだけれど、ことある度にあんまり

恩に着せられると、ありがたかった気持ちも半減してしまうんだよな」と叔父は

苦笑いをしながら言ったものでした。

 

 

 

 

「あの時、ああしてやった、、、この時、こうしてやった」と恩着せがましく

言うのは良くないことだと、私も子供ながらに学んだのですが、、、

 

今、晩年の祖母の年に近づいてみると、、、

それだけあの過酷な時代に、例え妹の子であっても面倒を見るのは並大抵の

ことではなかったと推測するので、当時を振り返り、つい言葉に出さずには

いられなかったのではないかと思うのです。

 

今なら叔父たちは「本当におばさんに助けられた。ありがとう」の一言を

何回でも言ってあげて欲しかった、、、

祖母は恩にきせたのではなく、その言葉だけで苦労が報われて満足したのだ

気づいたのでした。。。

 

 

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